2009年09月16日

和歌山の文化財「養翠園」を知る

養翠園は国の名勝に指定されており、1818年から1829年までに紀州徳川藩主治寶 (はるとみ)によって、造営された藩主の別邸です。西浜御殿(治宝の隠居所)からの清遊の場として水軒御用地内に造営された徳川中期の代表的な大名庭園といわれています。この地はもと藩士の山本理左衛門の下屋敷と伝えられていますが、大浦湾に面した景勝地なので,藩の御用地として精美をつくした大庭園が造営されたようです。

養翠園庭園は松を主とした約33,000㎡におよぶ大名庭園で、その周囲に松ヶ枝堤と呼ばれる黒松の並木がめぐっています。池の中央には小島を造り、南北から橋を架けてこの中島に通じるようにしています。中国の西湖を模したといわれる石造りの三ツ橋があり、池は海水を取り入れた汐入の池で全国的に珍しいものです。庭園はこの大池を中心とした池泉廻遊式庭園ですが、池の西畔から眺めると,北方に天神山、南東に章魚頭姿山が借景として取り入れられており、借景式庭園でもあります。
園内の養翠亭は1821年に建てられたもので、数寄屋建ての茶屋構造であるが左斜めの斜面になった珍しい廊下をもち、一隅に二畳台目の茶室「実際庵」があります。

江戸時代中期以降に諸大名がその下屋敷などに造営した行楽清遊のための大庭園の一例ですが、借景を取り入れた潮入りの池など環境を生かした庭造りが行われており、全体として当時の状態を良く留めているのもとして国の名勝に指定されています。


Posted by icarus at 16:31